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銀行を苦しめる「二律背反」を乗り換えるために:辣腕弁護士・佐藤明夫からの提言

利益か、公共性か

二律背反,佐藤明夫
(画像=MASAHIRO SANBE (COURTESY OF WORKSIGHT))
豪州の大手銀行「NAB」(National Australia Bank)は、まさに銀行業の「開放」をオフィスデザインに置いても表現した、「次世代銀行」の格好のモデルケースだ。スタートアップ企業かと見紛うようなオフィスは、意思決定の速度を上げ、チーム単位でアジャイルに動けるようにデザインされ、ミーティングスペースやハブが各フロアに数多く設置されている。

銀行を銀行たらしめているのは銀行法です。銀行法によれば、銀行は「株式会社」ですから「儲けてなんぼ」なのですが、その一方で銀行法の第一条には「業務の公共性」が謳われてもいます。つまり、銀行は利益を追求することが求められながら、公共の利益を損なうことが許されていません。この2つの課題にどこで折り合いをつけるのかは、とても難しい問題だと思います。

銀行といえども霞を食べて生きていくことはできませんから、日々利益を上げていかなければなりません。けれどもそれが行きすぎてしまうと、顧客の利益や公共の利益を大きく損なってしまうので、規制当局は厳格なルールを課すのです。他方、それが反対に振れてしまうと、今度は、銀行が萎縮してしまって健全なビジネスが阻害され、サービスも低下していきます。それもまた公共の利益に反してしまうわけです。儲かっている時代はよかったのですが、銀行といえども簡単に儲けさせてもらえなくなった今日、いよいよこの問題が顕在化してきているのです。

こうした矛盾を克服して、銀行により柔軟かつ健全なビジネスをしてもらうべく、ビジネスのあり方について「事業性評価」とか「本業支援」という言葉が注目されるようになる一方、法制度としても、2016年に銀行法が改正され、これまでできなかった新しい事業を展開するための会社を設立したり出資をしたりすることが許されるようになりました。銀行には、いわゆる「5%ルール」があり、これまでは例えばテック企業に投資しようとしても5%しか権利を保有できなかったんですが、この改正法によって、条件付きではありますが、さまざまな事業や事業への投資が可能になりました。

緊張か、緩和か

厳しい規制のせいで銀行業界から創意工夫が失われてしまったことは、長らく問題とされてきました。ですから、金融庁はここ数年、箸の上げ下ろしまでチェックするような金融検査マニュアルを廃止し、検査局もなくしたのですが、まだまだ規制は多いですから、「もっと規制を緩和しなければサービスは向上しない」、ひいては「他業種からの参入を容易にさせよ」という声はなかなかなくなりません。

ただ、金融はグローバルですから、現実には日本だけが規制緩和の道を突き進むというのも難しいのです。日本の銀行を変えんがために規制を緩和しすぎると、今度は世界から叩かれてしまう。とくに、反テロ対策としてのマネーロンダリングへの視線は世界的に相当厳しいですから、規制全体を緩めつつマネーロンダリングだけは厳しく規制するということも、理論上はできても現実的には簡単ではないだろうと思います。

とはいえ、金融庁の肩をもつわけではありませんが、金融庁もただ単に「規制、規制」と言っているわけではなく、新興の金融ビジネスに対しては、新しいビジネスを育てるために、あまり細かく目くじらを立ててこないようにしているように見えます。例えば、仮想通貨の世界では、仮想通貨の巨額流出事件が起きたことを契機に金融庁が厳しい対応をしているので、そこだけ見れば「規制、規制」、「業者つぶし」に見えるかもしれませんが、逆に言えば、それまでは辛抱して見守っていたところがあるんじゃないかとも思うのです。金融庁も官庁である以上は産業の保護育成をやらなくてはいけないと、金融庁の幹部もわたしにお話しされますし、金融全体の閉塞感を考えると新しい産業の種を守ること大事なことだと思います。

ただし、金融の分野は、野放しにしておくと必ず「やらかす」連中が出てきます。もちろんそこには「いかにも詐欺師」もいますが、最近は、仮想通貨まわりの人を含め、そういう人たちとはまったく違う、むしろ純粋にビジネスを立ち上げて社会に貢献しよう、社会を変えようとしている若者が「やらかしてしまう」ことが多いように感じています。彼らが「やらかしてしまう」のは、要するに、「金融を扱う以上、当然頭に置いておかなければいけない常識やお作法がわかっていない」ということだろうと思っています。

そういう連中にわたしがよく言うのが、「他人のお金を扱うことに対する基本的な緊張感が欠けている」ということや、「金融にはベンチャーはない」、つまりベンチャーだから仕方がない、ベンチャーだから許されるということはない、ということです。他人から預かったお金を商売の種にしているのにその意識が欠けているのは、システムの脆弱性以前の問題ですよね。また、金融サービスは、ベンチャーであっても多くのステークホルダーを相手にしますし、何せ命の次に大事な「お金」を扱うわけですから、さすがに「ベンチャーだから」という理由でミスが許されるわけはないのです。

レガシーか、テックか

銀行は信頼性が高いけれど硬直で身動きが取れない、ベンチャーは自由な身動きはできるけれど信頼性が足りない、それぞれに一長一短があるわけです。そこで、もう少し「簡易な銀行法」があればそれぞれの良さを体現した新しいタイプの金融サービスができるのではないかと、最近思うことが多いです。現行の制度では、金融とテクノロジーの距離、これまでの金融のプレイヤーと新しい金融のプレイヤーが遠すぎる気がします。また、それは、制度上の問題であると同時に、人の問題でもあります。既存の銀行業務にどっぷり浸かってしまった銀行マンもダメですが、ぽっと出の新興ベンチャーのプレイヤーもダメ。テクノロジーに精通し、新しいビジネスに取り組むことに高い意欲をもちつつ、「金融業界のリテラシー」にも精通している、こういう人がもっともっと必要だと思います。

そこで、今後は、フィンテックや非銀行の金融事業者に対するいまの規制よりはハードルが高いが、これまでの銀行と比べれば規制のレベルが低いといったルールを、現行の銀行法中か別の枠組みかはわかりませんがつくってみて、そこに、既存の銀行からも、新しいプレイヤーからも参加できるようにするのがひとつのアイデアではないかと思っています。それにより、いまの銀行と新しいプレイヤーやテクノロジーの距離が近づき、既存の銀行の世界にいる人にとっては新しいサービスやテクノロジーからいまよりずっと刺激を受けることができる一方、新しいプレイヤーも「金融の常識やお作法」をもう少しいいかたちで勉強できるようになるのではないか、ということです。

民営か、国営か

もっとも、そういうものをつくったとしても、本質的に考えなければいけないことも多数あります。特に、預金の取り扱いはその最重要論点かもしれません。預金は国によってその信頼性が担保された、一種の公共インフラといってもいいものです。特に日本では、国民の預金に対する信頼は絶対的に高く、だからこそ簡単なことでは取り付け騒ぎが起きないのです。この信頼がひとたび揺らいだら大問題になります。これを簡単に誰でも扱えるようにすることは最終的に恐ろしい問題を引き起こすことになると思うので、銀行(預金取扱金融機関)だけが預金を扱えるというのは正しいことだと思いますが、他方で、銀行は預金の管理に多大な手間と多額のコストを払ってきているのです。ここにも、「営利性と公共性」の大きな課題が横たわっています。

日本では、この30年くらい、国の機能が少しずつ民営化されてきましたが、今後は、むしろ、そういうものを国と民間企業と市民が協働して、新しいやり方で再構築することが模索されていくのではないかと思います。民営化だけが是ではなく、どこを民間に任せ、どこを国が面倒見るのかを、再度きちっと考えるべきタイミングに来ているのではないかということです。

銀行も同じで、銀行はもともと公共性を求められているのですから、銀行の機能や役割をすべて民間に委ねて監督だけするといういまのあり方を越えて、一部の機能は国が行うということがあってもいいように思えますし、特に預金については一度そういう議論をした方がいいかもしれません。さらに、もっと言えば、とても極端な話ではありますが、銀行の資本を全部国がもってもいいかもしれません。そんなことを言うと銀行の人から嫌われるかもしれませんが、要するに、銀行のビジネスを支えるのが資本で、その資本を民間に委ねているから、銀行は委縮し、景気が悪くなってビジネスがうまくいかなくなると国に頼る(公的資金を入れてもらう)のであれば、最初から国が資本をもって、いわば「資本のくびき」から銀行を解き放ってあげた方が、むしろ国民にとって望ましい状況になるのではないか、そういうことも考えることがあります。

誰のための銀行か

戦後の日本は、富の分配が極めて高度に行われ国民が平均的に豊かになれた社会でした。いまでいえば年収500万から3,000万円の人たちの層が極めて厚く、その人たちによって社会がつくられ、回っていた社会だと思います。「世界で東京が一番食べ物がおいしい」と言われるのは、この層の人たちの娯楽の中心に食があったからだと思います。田園調布に家はもてませんが、2、3万円払って美味しい食事を食べることはできる、そういうことです。

いま、その「中間所得層」がどんどんくたびれてきているわけですが、日本の銀行のシステムは、こうした中間所得層の存在に向けて最適化してきたと言ってもいいので、その意味でも、今後銀行がこれまでと同じようなやり方で信用を保てるかどうかは疑問に思います。

ただでさえ世の中は不安定になっていて、この10年、リーマンショックから最近の北海道の大停電まで、絶対に起きないと言われていたことが平気で起きる時代になっています。ですから、「これは絶対に大丈夫」、「これまでと同じでもなんとかなる」はもはや存在しないです。そうした時代に入ってしまったことを見据えながら、人びとにとって最も望ましい金融のあり方とは何か、どういうシステムが一番望ましいのか、根本から考え直さないとならない時代に、わたしたちは差し掛かっていると思います。

佐藤明夫(さとう あきお)
弁護士、佐藤総合法律事務所代表。三井安田法律事務所を経て、2003年佐藤総合法律事務所設立。前ジャスダック証券取引所コンプライアンス委員長、株式会社東京TYフィナンシャルグループ社外取締役、株式会社ポーラ・オルビスホールディングス社外監査役などを歴任。大手金融機関のほか数多くの上場企業をクライアントとしてもち、金融案件、M&A、IPOといった専門性の高い業務を手がけるほか、一般民事案件も幅広く手がけている。

NEXT GENERATION BANK 次世代銀行は世界をこう変える
若林恵・責任編集
制作:黒鳥社、発売:日本経済新聞出版社

フィンテックの勃興、仮想通貨や電子通貨の広まり、キャッシュレス化の波によって、猛然とデジタル化・モバイル化が押し進められ、さらに、マイナス金利、低成長、働き方改革などによって、産業、経済のルールまでもが抜本的に見直しを迫られてもいる。この変化の混乱のど真ん中にあって、「金融」の世界はいったい何を指針に、どこへ向けて、どう自らを刷新しうるのか? これからの新しい社会の「金融」を担うべき新しい機関=次世代銀行とは、いかなるものなのか? お金とテクノロジーと社会が織りなす社会変革の壮大なシナリオを、ダグラス・ラシュコフ、デイビッド・バーチ、武邑光裕、山本龍彦、池田純一、出井伸之、tofubeatsから、現役メガバンク取締役まで、時代を牽引する識者とともに、『さよなら未来』の著者でWIRED前編集長の若林恵が考えた、次世代ビジネスマン必読の「次世代銀行論」!