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福岡の大名・春吉に起きた飲食店ブームの立役者。中尾慎一郎さんが語る「店づくりの極意」

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(画像=株式会社なか尾の代表・中尾慎一郎さん(右)と、弟で専務取締役の中尾賢次郎さん(左)。撮影=吉野英昌)

今でこそ商業地として注目を集める福岡・大名。今から33年前、天神にほど近い住宅街に登場した『グリル・ド・しんちゃん』は、大名に飲食店が集まる火付け役となった存在だ。以来、『もつ鍋 一慶』や『西中洲 なか尾』『唄う稲穂』など、次々と人気店を誕生させてきた中尾慎一郎さんに、自身の店のことや福岡の飲食業界などについて語っていただいた。

30年以上前、住宅街だった大名に飲食店をオープン

24歳で店を持とうと考えた中尾さん。当初は屋台を出そうと考えていたという。当時、福岡の屋台は規制により一子相伝状態だったが、名義貸しが横行していた。しかし、その価格が高騰し、当初の3倍の予算がかかることが判明。中尾さんは小さな店舗を探すことにしたという。

「人が集まる天神とかで出したかったけれど、予算も限られていますからね。家賃の安い大名や警固で探していたら、約10坪のスナックの居抜き物件が見つかって。ここで始めたのが『グリル・ド・しんちゃん』です。この店がうまくいったんです。運が良かったんでしょうね。それから、不動産会社から『近くの新築のビルにテナントで入らないか』と誘いを受けました。思っていたよりも家賃が安く、ほかのお店にお客様を奪われるくらいなら、自分の店の売上を増やした方がいいと考え、入居を決意。1店舗目の売上が100から70になっても、2店舗あれば140になります。70から80、90と増やしていけばいいだけのこと。2店舗目はカラオケ居酒屋、3店舗目はもつ鍋居酒屋にして、大名エリアで4店舗を展開していました。特にもつ鍋はもつ鍋ブームにのって急成長。東京にも進出したんですけど、それは2年で閉店してしまいました」

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(画像=『もつ鍋 一慶』の名物「炙りもつ鍋」)

開業から1年ほど経った頃から弟の賢次郎さんが合流。中尾さんは業態開発や商品開発に注力できるようになり、順調に拡大し続けていった。しかし、4、5年ほど経った頃から、大名エリアの様子が少しずつ変わってくる。

「当時、福岡の飲食店には接客とか接遇という意識があまりなかったんです。けれど、少しずつ接客や笑顔のいいお店が増えてきて、居酒屋でいえば、掘りごたつや個室が当たり前になってきました。飲み放題のあるお店も少なかったのに、いつしか飲み放題・食べ放題が2000~3000円くらいのお店もでてきて、価格破壊が起きました。うちも追随しなくちゃいけないとやってみたものの、このままじゃ無理だなと思うようになったんです」

それでも、天神に進出したり、海鮮居酒屋を出したりと、これまでの蓄えを切り崩しながら、新たな挑戦を続けた中尾さん。客単価も安く、朝6時まで営業していたことも相まって、5、6年は順調に推移してきたそう。

「あるとき、大名の店舗の売上がじわりと下がり始めたんです。当時は大名の街に落書きが増えて、出会う人も自分より年下ばっかりになったんですよね。撤退した方が早いかなとも考えましたが、警固に新たに2店舗を出しました。ここがよければ警固で増やしていこうとも考えたんですけど、それがパッとしなくて。当時は狂牛病が問題になっていて、焼肉屋さんは大打撃を受けていたのを見ていたんですけど、数日後の新聞に『ホルモンが原因』と書かれてしまって。もつ鍋業界も大きく影響を受けました」