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男らしさの呪縛を捨てれば、もっと自由になれる。70年代NYが舞台『ビール・ストリートの恋人たち』の現代性

今回が初来日となったバリー・ジェンキンス監督

女性の社会進出、MeToo運動の高まりなどを受けて、ジェンダーの問題は世界中で議論されるようになってきた。

それと同時に「男らしさとは?」という問いもまた、これまでになく真剣に捉えられるようになった。

黒人社会で生きるゲイ男性の受難と愛を描いてアカデミー作品賞に輝いた『ムーンライト』から2年、バリー・ジェンキンス監督の最新作『ビール・ストリートの恋人たち』が2月22日より公開される。

 黒人男性を主人公とする2つの作品を通して、ジェンキンス監督は「男らしさ」とどう向き合ったのか。また、それは現代社会においていかなる意味を持つのか。来日中の同監督に話を聞いた。

 

『ビール・ストリートの恋人たち』は、ジェンキンス監督が念願だったジェームズ・ボールドウィンの小説の映画化だ。

ボールドウィンは、アメリカ文学史における重要人物の1人で、黒人として、またゲイとして差別や性の問題に向き合った作品を数多く発表し、公民権運動においても重要な役割を果たしている人物だ。

監督は『ムーンライト』製作前から本作の脚本を書いていたが、映画化権の取得は容易ではなく、まずは自分を知ってもらうことが必要だったと語っている。前作でオスカーを受賞し、その手腕を認められ満を持しての映画化となる。

ジェンキンス監督は、ボールドウィンの小説について「男らしさとは、さらに、黒人の男らしさとは? ということを考えるきっかけになった」と語る。

また、本作の原作については「抵抗と怒りに満ちた表現がある一方で、みずみずしく、ロマンティックで、希望に満ちていて、その2つが見事なバランスで両立している」と評している(公式プレスより)。

『ビール・ストリートの恋人たち』

2人のゲイの黒人男性作家の視点

ジェンキンス監督の映画は、男らしさを称揚しない。

『ムーンライト』は黒人社会で生きるゲイの男性シャロンの受難を描いていた。少年時代、高校時代、そして青年時代の3つの年代が描かれるが、とりわけ青年時代のシャロンの変わりように驚いた観客は多かっただろう。

ひ弱でいじめられていたシャロンが、青年時代には筋骨隆々に「武装」して、自らを偽りながら生きている。男らしく、強さを装わないと生きていくのが困難な世界で、シャロンは愛する者の前でだけ本当の自分に戻れた。

シャロンの心情を鮮やかに描き上げた『ムーンライト』の原作者タレル・アルバン・マクレイニーと、『ビール・ストリートの恋人たち』の原作者ジェームズ・ボールドウィン。ともにゲイの黒人男性であり、アメリカ社会における黒人差別以外に、黒人社会の中で同性愛差別に苦しめられた人たちでもある。

ジェンキンス監督は、2つの映画が“男らしさを称揚しない”作品に仕上がったのは、原作の筆致を尊重した結果だと言う。ことさら意識して、男らしさを遠ざけようとしたというよりも、自分の感情に従って、こういう時はどうするだろうと純粋な反応に従って作ったのだと語る。

一方で、監督自身は典型的なマスキュリン的発想には興味なく生きてきたそうだ。マクレイニーやボールドウィンの人間観はごく自然に、監督自身の人間観と相性が良いのだろう。

『ビール・ストリートの恋人たち』

「男は女を守るべき」という思い込みが招く悲劇

ジェンキンス監督は、ボールドウィンの小説によって「男らしさ」について考えることになったことは上述した通りだ。本作において、ボールドウィンの男らしさへの疑問が端的に表出しているシーンがある。

主人公のティッシュ(キキ・レイン)とファニー(ステファン・ジェームス)が、差別主義者の白人警官に難癖をつけられた後の会話だ。

 

ファニー「Don’t ever try to protect me.(もう俺をかばったりするな)」

ティッシュ「But you were trying to protect me.(でもあなただって私をかばってくれたでしょう)」

ファニー「It’s not...the same...thing.(それとこれとは同じじゃない)」

(※訳は筆者による:英語のセリフは公式の脚本から引用)

 

どうして「同じ」ではないのだろうか。愛し合う男女が互いを守り合う、美しいことではないか。しかし男であるファニーは、彼女のティッシュに守られたことでプライドを傷つけられたような思いを抱えてしまう。

ジェンキンス監督は、このシーンについて、こう語る。

「あれは原作通りの台詞ですが、70年代の男女観としては一般的ではないかと思います。ただ、いまだにこういう男性像を捨てきれない人は多いんじゃないでしょうか。

例えば男女の夫婦において、女性がお金を稼ぎ生計を立てて生活を守ってくれるという状態を受け入れがたいと感じる男性はいまだ多いと思います。アメリカでは、男性こそが一家の大黒柱で、家族を守る役目は男のものだとずっと考えられてきましたから。

若いティッシュとファニーの2人は、本当はお互いに守り合うべきなんですが、悲しいことにファニーは、男らしさについてステレオタイプなイメージを捨てきれていないんです。だから、ティッシュがファニーをかばったときに、自分の男性性が剥ぎ取られたような恥ずかしさを感じてしまったんです」

男はいつでも強くあらねばならず、女を守らねばならない。

 ファニーはこのステレオタイプな男らしさの思い込みのせいで、大きな代償を払うこととなり、2人の愛に満ちた生活に困難をもたらすことになってしまった。

当然、白人警官による劣悪な人種差別がまず根底にあるのだが、それだけでなく、男性性の発露によって冤罪が引き起こされるという構造が、ボールドウィンならではの感性であり、現代の観客にも深い問いかけを与えるポイントだろう。

実際、ファニーが警官の横暴からティッシュをかばった瞬間、ティッシュは喜ぶどころか困惑している。まるで知らない人間を見るように。

「ファニーにとってもあの行動は、自分のイメージとはかけ離れたもので、彼自身すらあの瞬間困惑しているんです。あの瞬間、自分も知らなかった、染み付いた男性性が出てしまったんです」

前作『ムーンライト』(16年)でアカデミー賞作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督。黒人だけのキャスト、監督、脚本による作品での作品賞受賞は史上初

日本人男性が『ムーンライト』に共感した理由

黒人男性の「男らしさの呪縛」を浮き彫りにするジェンキンス監督の2つの作品。決して、自分たちとは関係のない物語ではない。

ジェンキンス監督は、LAでの『ムーンライト』の取材を受けた際、日本人ジャーナリストが語ったことを回想した。

「日本人の女性ジャーナリストが、『ムーンライト』は日本の男性の心も捉えている、なぜなら日本の男性のビジネスパーソンたちは、出世のために男らしくあらねばならないからだと言っていました。

例えば、誰よりもビールが飲めるように装ったり、感情を表に出さずストイックに仕事に向かったりという具合に。そういう姿勢が、『ムーンライト』の第3章の、ギャングのような格好をして、歯に金のグリルをはめて自らを偽るシャロンの姿に重なるというんですね」

体育会系、という言葉で表される共同体はとりわけ典型的なものだろうが、過剰に体育会系的な職場でなくても、大なり小なり、男らしくあらねば、というプレッシャーを感じたことがある男性は少なくないのではないか。

「それはとても危険なこと」だとジェンキンス監督は語る。

「男らしくあろう、強くあろうと装い続けると、悩みを抱えても誰にも打ち明けられない状態になってしまいます。それは大変危険です。

例えば、仕事で受けたプレッシャーを、他の誰にも打ち明けられずに溜め込めば、その圧力は最後には自分だけでなく、家族や周囲をも傷つけることになるでしょう」

男らしさの圧力が、回り回って、世の中に「別の圧力」を生んでいるかもしれない。弱さを認めることで、男はもっと楽になれるのではないかとジェンキンス監督は語る。

「私は、人が脆くあることは決して悪いことではないと思います。男らしさにこだわらなければ、人はもっと広い世界を知ることができるようになると私は思います」

ファニーも男らしさの呪縛から逃れることができたなら、刑務所に行くことなく、文字通り「自由」であれたかもしれない。人種差別とジェンダーの同調圧力の2つの社会的な不自由に挟まれた2人の愛を、ジェンキンス監督はそれでも希望を失わずに美しく描きあげた。