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機能性の追求を武器に!スポーツメーカーのサバイバル経営 デサント代表取締役社長・石本雅敏

カンブリア宮殿,デサント
© テレビ東京

冬本番で売り切れ続出!~噂のダウンジャケット

今年、全米、そして日本中を沸かせたロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手。その大活躍の裏にはある企業の存在があった。国産スポーツメーカーのデサントだ。

実はあるデサント商品が、今、大いに売れている。人気のセレクトショップ、東京・新宿の「ビームスジャパン」。男性客が試着していたのが、軽くて暖かいダウンジャケット。その名は「水沢ダウン」。一見、何の変哲も無いダウンに見えるが、気になる値段は10万円。この値段でも本格的なシーズン前からバンバン売れている。

東京・丸の内にあるセレクトショップ「ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ」丸の内店でも、サラリーマンの熱い視線が「水沢ダウン」に。ユナイテッドアローズのバイヤー、青谷克也さんも、「もう在庫の8割は売れていて、他のダウンメーカーさんと比べても売れ行きは非常に早い。年々、人気や認知度が上がっている印象があります」と、その人気ぶりに驚きを隠せない。

さらに、東京・表参道にある「ジャーナルスタンダード」表参道店では、「やっと見つけた」と、男性が「水沢ダウン」をお買い上げ。「去年、買おうと思ったら売り切れでした。国産でこんなにいいものがあるということに一番惹きつけられました」と言う。

若者からサラリーマンまで、みんなが欲しがる「水沢ダウン」。最大の特徴は高い機能性にあるという。そのひとつが雨をモノともしない防水性。「水沢ダウン」は撥水性の特殊な生地を使っているので、水は生地に入り込まず、表面で玉になる。

さらに防水性を高めているのが、胴の部分に縫い目のない仕上げ。一般的なダウンは中の羽毛が片寄らないよう、生地を縫製している。水を吹きかけると、その縫い目から水が入り込んでいく。結果、中の羽毛が濡れてしまい、保温性まで下げてしまうのだ。

一方、水沢ダウンは縫製せずに中で接着。縫い目がなく水が入らないので、保温性が保たれる。熱を感知するサーモグラフィーで見てみると、一般的なダウンは、胸や脇の縫い目から熱が逃げているのがわかる。対して水沢ダウンは色の変化が少ない。

実はこのダウン、2010年にカナダで開催されたバンクーバーオリンピックのためにデサントが開発したもの。開会式で日本選手団が着ていたのが「水沢ダウン」だ。時にはマイナス10度を超える寒さのバンクーバー。雪だけでなく雨も多い。水に強く保温性の高いダウンが求められたのだ。

東京・代官山にあるデサントの直営店「デサント ブラン」代官山店。ここで目立つのが外国人客。水沢ダウンを求め、わざわざ調べてやってくる。国内にとどまらず、海外での人気も上昇中だ。

この冬は6種類のモデルをそろえた。一番の売れ筋は「マウンテニア」(10万8000円)。フードは表に出ているが、普段はファスナーで口を閉じる形。フードをかぶりたい時は、手前に1回引けば、ファスナーを回さなくてもフードが立ち上がる。最軽量の「シャトル」(9万5040円)は10万円を切るモデルだ。

岩手県奥州市のデサント水沢工場。「水沢ダウン」はこの工場の名前を冠したブランドだ。

その品質を支えるのは、地元の女性たち。千葉梅子さんは職人歴38年。佐藤れい子さんはミシン一筋39年。高橋文江さんは「高校を卒業してすぐだから今年で40年目になります。縫製が好きだったの」と言う。いずれ劣らぬベテラン、総勢100人もの職人たちの技術力がハイスペックな「水沢ダウン」を生み出しているのだ。

その製造工程は一般的なダウンのおよそ4倍。最大の特徴である縫い目のない仕上げにするため、まず登場するのが大きなプレス機。特殊な接着剤を塗った生地を熱と圧力でくっつける。「接着することによって縫い目が出ない」と言う。

胴体部分を接着して、羽毛を入れる部屋を作ったら、ここで取り出すのが少量でも温かみが生まれるフランス産の羽毛。一般的なダウンは、羽毛を一気に入れてから縫製して部屋を作るが、水沢ダウンは一部屋ずつ0・1グラム単位で詰める。機械では難しい細かな作業。ベテラン職人の手仕事が不可欠なのだ。

無縫製といっても、袖口や肩周りなど、どうしても縫製が必要な部分もある。そこで行われているのがさらなる防水加工。縫製をかけた裏側に、テープのようなものを貼り付けていく。これは防水性の強いシームテープ。表からは見えない部分にも、職人の丁寧な仕事が詰め込まれている。先端技術とベテラン達の手仕事の融合。これが高品質の秘密だ。

カンブリア宮殿,デサント
© テレビ東京

あの大谷翔平を支える~驚きのスポーツウエア

カンブリア宮殿,デサント
© テレビ東京

デサントは自社ブランドの他にも、海外の有名ブランドを多数取り扱っている。その数、15ブランド。世界で活躍する松山英樹選手は「スリクソン」のゴルフウエア。サッカーJリーグ、ガンバ大阪の遠藤保仁選手が履くのは「アンブロ」のスパイクだ。今年のアジア大会では金メダルを獲得した水泳の瀬戸大也選手は「アリーナ」の水着を着用する。

「私たちがスポーツ用品を作る時は、必ずトップの選手やチームと一緒に開発します。その機能を市販の商品に反映させるという考え方でものづくりをしています」と言うのは、デサント社長の石本雅敏(56)だ。

メジャーリーグの新人王・大谷翔平もデサントと共にある物を作っていた。それがユニホームの下に着ている赤い長袖。意見交換しながら1年がかりで開発した大谷専用のアンダーウエアだ。生地には伸縮性のあるストレッチ素材を採用。投手と打者、二刀流の大谷の活躍に、こんな物が一役買っていた。

開発を担当した一人、マーケティング部の江連悠次郎は、「大谷選手からいただいたご要望は、肩の引っ掛かりを軽減したいということ。ストレスのないものを作ることが開発のコンセプトになっていきました」と言う。

肩の引っ掛かりを減らすため、デサントはある工夫を凝らした。普通のアンダーウエアは脇の下を縫製する。これだと伸びる生地でも突っ張ってしまうが、大谷のウエアは、脇の周りを縫製。これなら肩の引っ掛かりを軽減できる。

「縫製をしている糸がないので、生地の伸び止まりがなくなって、生地本来の伸びを最大限に発揮する構造になっています」(江連)

大谷のウエアの開発で見つけたノウハウは一般向け商品に落とし込んで販売する。東京・新宿区の「ベースマン」飯田橋本店。男性が買ったのが大谷モデルのアンダーウエア「リラックスフィットシャツ」(3888円)だ。素材も脇の縫製も大谷のウエアと同じになっている。

一流選手のお墨付きだからみんなが欲しくなる。これがデサントの基本戦略だ。

「お客様に選んでいただくためには、我々の強みを発揮しなければならない。それはスポーツウエアで培った機能や品質です。それを意識して作らないと、マーケットでの差別化はできないと考えています」(石本)

競合ひしめくスポーツウエア界にあって、デサントの去年の売り上げは、過去最高の1411億円に達した。

カンブリア宮殿,デサント
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アディダスショックからの復活~「水沢ダウン」誕生秘話

カンブリア宮殿,デサント
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デサントの始まりは1935年。最初は大阪の紳士服の販売店「ツルヤ」として、石本の祖父、他家男が創業した。

「いろいろな商売を、やっては失敗して、というのを繰り返してきたのですが、その中で野球のユニホームが少しヒットしまして、それからスポーツで商売をしていくと決めていきました」(石本)

1968年にはプロ野球の中日ドラゴンズがデサントのユニホームを採用。70年代に入ると12球団中、なんと11球団がデサントを使うように。高い品質がプロにも支持された。その後はスキーウエアやゴルフウエアなどにも進出。小さいながらも商品力を持つスポーツメーカーとして頭角を現していく。

大きな飛躍のきっかけは1970年。世界の巨大ブランドのひとつ、アディダスとのライセンス契約が実現したのだ。ライセンス契約とは、一定期間、ブランドの名前を借りて商品を製造販売する契約。当時、アディダスは日本では今ほど知られていなかったが、70年代の後半にタウンウエアとして大ヒット。3本ラインが街中に溢れた。

さらにアディダス人気に拍車をかけたのが、1993年に始まった日本初のプロサッカー、Jリーグ。当時、アディダス担当だった常務の三井久は「その時、サッカーの売り上げが飛躍的に伸びたんです。会社の利益のほとんどを占めるブランドになりました」と言う。

しかし1998年、状況は一変する。「アディダスショック」だ。ある日、朝礼の席で社員たちは社長の口から信じられない言葉を聞く。「実はアディダスが来年以降は契約しないと通達してきた。アディダスの売り上げはゼロになる」というのだ。

アディダスはライセンス契約を解消し、自社販売することに。デサントは28年かけて育てたブランドと4割の売り上げを失った。

「売り上げの4割がなくなりますので、4割相当の希望退職を募集しないといけない。社内的に非常につらい局面を迎えました」(三井)

そこからデサントは、生き残りをかけて様々な手を打っていく。

まず取り組んだのは、いずれ契約が切れるライセンスブランドから、ずっと権利を保有できる自社ブランドへのシフトだ。そこで一役買ったのが、デサントの大株主で、関係の深かった伊藤忠商事だった。

伊藤忠の経営支援の中でも特に大きな成果を残すのが、サッカーブランド、「アンブロ」の獲得だった。デサントは自社ブランド化に成功した。現在はガンバ大阪やFC東京などが「アンブロ」のユニホームを採用。デサントはアディダスで失ったサッカー事業を立て直すことができた。

さらに、それまで力を入れてこなかった海外に目を向け、2000年、韓国に現地法人を設立。巨大旗艦店もオープンさせた。実は韓国で販売している商品の8割は現地でデザイン。韓国の消費者の好みに合わせた現地化戦略を行い、普段着として浸透させた。

今では町のあちこちにデサントを着た人たちが。韓国の直営店は932店舗にまで拡大。海外の売り上げ(854億円)は、今や日本国内の売り上げ(557億円)を追い抜くまでに成長した(2017年度)。

そして日本では、本家・デサントブランドの復活を目指し、2006年、「水沢ダウン」の開発が始まる。開発責任者のデザイナー・山田満は、「当時、世の中にはたくさんダウンジャケットがありましたが、ダウンにとって水を含むことが一番の天敵だったんです。そこに着目して、水に濡れない構造を考えました。それを実現する設備もノウハウも、水沢工場にあったんです」と言う。

水沢工場では、ベテラン職人達が何十年もの間、スキーウエアを作っていた。ダウン作りに必要な技術が蓄積されていたのだ。

2年間の試行錯誤を経て「水沢ダウン」が出来上がった。そして2010年、カナダのバンクーバーオリンピックで日本の選手団が着た「水沢ダウン」がテレビに映ると、思わぬ所から仕入れの依頼が殺到した。セレクトショップのバイヤーたちの目に止まったのだ。

「非常にシンプルなので、どんな洋服にも合わせられるのが一番の強みだと思います。うちのお客様や洋服に合うという印象は最初からありました」(「ユナイテッドアローズ」の青谷克也さん)

「水沢ダウン」のモノの良さはすぐに業界内で評判となり、人気に火がついていく。国内・国外、両方の戦略が実を結び売り上げは回復。今やアディダス時代を超えるまでになった。

創業者・他家男の時代から品質にこだわり続けたその商品力で、デサントは危機を乗り越え、生き残っている。

カンブリア宮殿,デサント
© テレビ東京

サッカー遠藤選手も驚く~35億円の最新鋭施設

今年7月、新たなデサントの施設が生まれた。大阪府茨木市の「デサントイノヴェーション・スタジオ・コンプレックス」。35億円を投じた研究開発の拠点だ。

そこにサッカー・ガンバ大阪の遠藤保仁選手がやってきた。初訪問だという遠藤は、まずは施設を見て回る。

 ある部屋の中は冷凍庫のような寒さ。室温はマイナス9.7度。何をするための部屋かというと「平昌オリンピックはマイナス20度だった。その中でウエアを着たらどうなるかを実際の環境で試しています」と、担当者は言う。 続いて見学したのは、人工の雨を降らせ、防水性を確かめる部屋。「6メートルぐらいの高さがあると、実際の雨粒に近い形状になるんです」という説明に、「すごい施設ですね」と、遠藤も驚いた様子だ。

デサントはこうした設備を駆使し、これまでにない商品を開発している。

この日の遠藤の目的はスパイクの打ち合わせ。「アンブロ」のスパイクを14年間にわたって愛用しているが、足のサイズは毎年微妙に変わるため、計測が必要だと言う。

「お互いコミュニケーションを取りながら、僕の場合は本当に履きやすいスパイクにして頂いている。普段から感謝しているし、本当に厚いサポートをして頂いています」(遠藤)

多くのブランドを保有しながらも、デサントは自社開発に力を入れ、商品力で勝負し続ける。

~村上龍の編集後記~

創業者は4度も召集され、戦後、最終的に、スポーツウエアの開発・生産を選んだ。平和とは何かを示すエピソードだ。

アディダスから契約を解消され、重大な危機を迎えたが、生き延びた。むしろショックをバネにして、業績を回復させた。

私見だが、その企業理念には、スポーツマインドが中核としてある。デサントとは仏語で滑降だが、他に暴落という意味もあり、社名として反対の声もあった。

「社名は辞書ではなく現実で生きる」。創業者の言葉だ。デサントは現実を生き、そして今、象徴のような、画期的なダウンを作り上げた。

<出演者略歴>
石本雅敏(いしもと・まさとし)1962年、大阪府生まれ。慶應義塾大学卒業後、1984年、電通入社。その後渡米し、MBAを取得。1996年、デサント入社。2013年、代表取締役社長に就任。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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