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北川悦吏子さん、山内マリコさん、速水健朗さんらが「東京の恋愛ドラマ」を語る。

2019年3月8日、「WOMAN & TOKYO 国際女性デーシンポジウム」が津田塾大学にて開催された。
時代を切りひらいてきた東京の女性たちの歩みを、「働く」「装う」「恋をする」をテーマに語り合う本イベント。第1部「働く」では津田塾大学学長の髙橋裕子さん、株式会社スープストックトーキョー取締役の江澤身和さんが登壇。自身のキャリアを振り返った。
「昇進の機会があったら、階段をのぼって違う景色を見て欲しい。女性がいないところで違和感を覚えることもあると思うが、それを大切にして変革を担う女性になってください」(髙橋学長)
「日本は他国に比べ、女性の活躍が遅れているかもしれません。だからこそ、チャンスがたくさんあるとも思います。役職に対してこだわりがなかったりする人もいるけど、自分の役割が変わると見え方や感じ方も変わる。チャンスがきたときには、一度は挑んでみる姿勢が大事だと思います」(江澤さん)

(右から)髙橋裕子さん、江澤身和さん、ファシリテーターの新居日南恵さん

ファッションを軸とした第2部では、東京家政大学名誉教授の能澤慧子さんが洋装化150年の歴史を講義。明治時代の洋装化におけるヨーロッパ社会の意識の定着についてや、女性の社会進出と服の関係などについてスライドを交え紹介した。

マルチタレントのはましゃかさんは「昔は清楚な黒髪で男ウケを狙っていたけれど、最近髪をピンク色に染めたことで自分の外見と内面が一致するようになった。いまはとても楽しい」と自身の気持ちを述べた。

(右から)能澤慧子さん、はましゃかさん、ファシリテーターの高橋牧子さん

ハフポスト日本版が担当した第3部「恋をする」では、「東京の街と、女性の物語〜これからのエンタメ」をテーマに、数々のヒットドラマを手がけてきた脚本家の北川悦吏子さん、人生に揺れ動く女性の姿を描く小説家の山内マリコさん、『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』などの著書で知られるコラムニストの速水健朗さんによるトークセッションを行った。

時代によって変わる“シングル”の描かれ方と“東京”

エンタメ作品において、独身者がクローズアップされて描かれだしたのは、トレンディドラマ時代が始まる80年代後半から。速水さんは「職業をもつ女性がキャラとして出てきたのもこの頃です。ドラマの舞台としては隅田川など、東京の東側に注目が集まってきた印象があります」と分析。多くのドラマを担当してきた北川さんは、ロケ地の詳細は決めずに、物語のイメージから起算して決めていると語った。

速水さんは、ライフスタイルは街の設計と密接な関係にあると仮説をたてる。「2000年以降に『おひとりさま』の概念がでました。それ以前は、ひとりで入れるような飲食店がなかったんです。喫茶店も、2人がけが前提の椅子でしたよね。大勢でかける相席テーブルやカウンター席を兼ね備えた、スタバが普及してから変わった。そこから、女性がひとりでも外食するのが普通になり、作品でもそういった描写が増えていきました」これには会場からもうなずきの声が聞こえた。

都市はいろんな人たちが集まる場所。多様性が生まれる構造になっている。

「街の設計といえば、『ビューティフルライフ(2000年)』を書くときに、1日東京の街を車椅子に乗って巡りました」と語るのは北川さん。「この世は健常者向けにできているんだと実感しました。買い物するにも、高級店は受け入れてくれないんです。『車椅子では入れません』とは言わない。ただ、だれも扉を開けに来ない状況でした。切なかったです」この体験を作品に活かし、ドラマは大ヒット。バリアフリー化が進んだきっかけのひとつにもなった。

北川さんは『オレンジデイズ(2004年)』でも聴覚障害者の恋を描いている。「『電車の中で手話をしている男女を見て、オレンジデイズだ!って思った』という、華やいでいるコメントを見て、うれしかったことを覚えています。それまでは手話など『見ちゃいけない』という気持ちがどこかにあったのかも。ドラマがきっかけで手話を習い始めましたと言ってくれる人もいたし、手話が何かいいもの、もしくは自然なもの、として見てもらえるようになって良かった」と当時を振り返った。

留守電→スマホ? 恋愛を支えてきた“通信”の進化

80年代のトレンディドラマではショルダーフォンが登場したが、90年代になると、通信手段が進化し、ドラマにも通話をするシーンが増えてきた。速水さんが「『オレンジデイズ(2004年)』では、みんな携帯を使っていましたよね」と投げかけると、北川さんは「声が出せないヒロインが自分の存在を知らせるために、恋人に携帯を投げて知らせるシーンを書いたら、スポンサーが携帯キャリアで…。その時のプロデューサーがそのシーンを成立させるためにスポンサーを説得してくれました。でも実際できあがった映像を見たら、投げるには、携帯、デカすぎたかなって」と、当時の裏話を披露。

“ラブストーリーの神様”と呼ばれる北川さん。デビュー当時から最前線で活躍し続けている。

『ロングバケーション(1996年)』で物語の鍵になったのは、固定電話の留守番電話機能。90年代から当時のリアルな時代背景をベースに脚本を書き続けている北川さんは「『半分、青い』のときは、自分が過去に書いた台本を読み返して、通信の歴史などを振り返りました。『ビューティフルライフ(2000年)』に『覚えてしまった電話番号は悲しい』というセリフがあったんだけど、実は携帯、電話番号、覚えないよね。登録メモリですよね」と、笑った。

2012年に作家としてデビューした山内マリコさんは「通信手段が細分化した時代。LINE、SMS、iPhone同士ならiMessage、FacebookのMessengerもある。なにを使っているかで年齢や属性まで表してしまうので、書き分けが難しい」と苦労を口にした。「単行本のときはmixiと書いた作品も、2〜3年後に文庫化するとき、さすがに違和感があってあわてて調整しました。できるだけ時代のリアルを書き残すようにしたい」と、語った。

3月14日に新刊『あたしたちよくやってる』(幻冬舎)が発売されたばかりの山内さん

キムタク、早く老けてほしい!?

1990年代はキムタクブーム。雑誌『anan』の「抱かれたい男」に殿堂入りし、社会的影響も大きかった。『あすなろ白書(1993年)』の頃から彼を観ていた北川さんは、こう語る。

「また拓哉くんで書きたいですね。でも、もっとオッサンになって、味が出てからがいいな。彼、まだ綺麗すぎますよね。もっと歳を重ねて、みすぼらしいくらいになったら、また素敵なドラマが書けると思います。早く老いればいいのに! って、思ってそっと待ってます(笑)」北川さんにしか言えないコメントに、会場からも笑いが起こった。

過去に印象的だった俳優は? と聞いてみると「豊川悦司さんは、衝撃でした! 正直、すごく大変で、何度も何度もお互いのイメージをすり合わせるために、話し合いをしました。夜通し、テレビ局の会議室で。『愛していると言ってくれ(1995年)』の頃ですね。死闘を繰り広げ、そして戦友となっていきました(笑)。最も信頼できる役者さんです。やると決めたら本気。聴覚障害者の画家役だったから、現場で耳栓したり、絵の勉強のためにパリまで行ったりしていました」

速水さんは「僕としては、山口智子さんが新しい女性像をつくったと思います。『ロンバケ』はやっぱりすごいですよ。年上の女×年下の男という設定もそうだし、アラサーあたりで、結婚を逃したところが物語のベースになっていて」と語る。

北川さんも「あの頃から、女性がライフステージに悩む年齢が10歳くらい上がったと思います。『ロンバケ』のときは、女性は『もう30』って言って、焦ったり悩んだりしていた。でもそうなるのが今は、40歳前後という感覚」と受けた。ハフポストの川口も「昨年、東京の女性における平均初婚年齢が30歳を超え、やっと時代が『ロンバケ』に追いついたのでは?」とデータを紹介し、会場も盛り上がりをみせた。

『ロングバケーション』の影響で社会人がピアノ教室に通うなど、クラシックブームも巻き起こった。

恋愛ドラマと朝ドラはお作法がまったく違う?

恋愛ドラマの話で盛り上がったところで、話題はNHKの朝ドラに。速水さんは「家族を描くフォーマットの中で、『半分、青い。』はなぜ自由にやれたんでしょうか」と疑問を投げかけた。

北川さんは「『半分、青い。』は朝ドラの中ではっきり異端でした。担当プロデューサーが女性だったからなのか、彼女は思い切りが良くて、上長の顔色を見ないで「これがやりたい」とはっきりおっしゃる。すごい。この人、出世しなくていいんだ、と思ったのを覚えています(笑)。結果、数字を取ったので出世するかもしれないけれど。

私自身は、脚本を書くことになるまで朝ドラを観たことがなかったのが、勝因だったと思っています。妙な刷り込みがなかった。戦争、実在の人物が鉄板の枠で、それを踏襲しなかったのは、でも、賭けでした」

これに対し山内さんは「朝ドラは女性の自立を描くことがミッションのはずなのに、揺り戻しみたいに保守的な作品が出てくる。『半分、青い。』にはアンチもいたけど、もし『まんぷく』と放送の順番が逆だったら、鈴愛(すずめ)の自由さはアナーキーな女として歓迎されたのではないかと思います。少なくとも鈴愛は、自分の人生の主役でしたから」と語った。

朝ドラは女性の自立を描くことがミッション、と語る山内さん。

これからも、求められるのは女性の経済的自立

イベント終盤は、恋愛ドラマを改めて振り返った。山内さんは「例えば1981年の山田太一さん脚本の『想い出づくり。』は、女性が自由を謳歌できるのは結婚前までという大前提の上で、ヒロインたちがもがくドラマでした。彼女たちの憂鬱は、この先の人生、結婚して男性に付属、隷属するしか選択肢がないから。それが、男女雇用機会均等法やバブルを経て、ちょっと極端なくらいパワフルな女性像が描かれる時代がきた。女性の立場が弱から強に振り切れ、90年代以降はその針が中庸にキープされて、やっと女性と男性が対等な立場で恋愛できるようになったんじゃないかと。私はそういうドラマを見て育ちました。テン年代の『逃げるは恥だが役に立つ(2017年)』はもう一歩踏み込んで、家庭の中での男女の平等が追求されていると思いました。家事は無償労働ではないという問題提起はとても重要」と続けた。

また、若い女性たちへのメッセージとして「女性の選択肢が増えたことで、悩みも増えたのが今の時代。社会で働くことに夢が持てないからか、専業主婦に憧れたり、保守回帰の傾向が強いのかな。でも従来の結婚は、男女のパワーバランスがいびつにできているので、自分の人生を自分でグリップできない怖さがある。自分の人生のハンドルを手放さない強さを持ってほしい」と熱い思いを伝えた。

北川さんは「なぜ男女が対等になれないかというと、経済的な問題も大きいですよね。主婦でも、自分ひとりで生きられるノウハウを持っていれば、全然気持ちが違うと思うんです。私の親世代は、家からも出られないし、離婚もできなかった。経済的にも精神的にも、自立は必要と思います。自分で自分の世話をできるように工夫して生きていきたいですよね」と、会場に呼びかけた。

シンポジウムには約200名が集まった。